2012年10月18日
中世ロマン歴史の里・菅浦の文化的景観と菅浦郷土史料館
記録的な9月の残暑が終わった途端、いっきに秋めいてきましたね!
突然の秋の気配に、
ちょっと切なくなってみたり、にわかな旅心に誘われたりしていませんか?
まだ紅葉の季節には少し早いけど、
それでも日常とは違う何かに触れてみたくて、何かを求めてみたくて。

ふと絵筆やカメラを片手に、自分だけの小さな旅に出る…
そんな方々がこの季節よく訪れる、湖北は奥琵琶湖の隠れ里。
今日は、そんな秋の切ない芸術心を魅了する、ひっそりと人知れず
中世の面影を残した、歴史と文化の里をご紹介しますね。
< 歴史の里・菅浦の文化的景観と菅浦郷土史料館 >
それが、
今長浜市の教育委員会や地元の方々が国の重要文化的景観の選定を目指して
調査・活動中の歴史の里・菅浦の「文化的景観」です。

菅浦は、昭和40年代に菅浦~大浦間の自動車道路が整備されるまでは
琵琶湖に面して古く中世から栄えた集落でありながら、まさに
ほとんど陸の孤島といえるような状態でした。


国道303号線から大浦の交差点を通り過ぎ、そのまま湖岸を縫うように
車で走り続けると、その終点が菅浦です。
途中、琵琶湖畔のパーキングに設置された丸子船型のモニュメントを片目に


琵琶湖の北端・大浦湾にて行われている琵琶湖伝統のエリ漁の様子や
驚くほど近くに見える竹生島の島影を、眺めながら。

複雑に入り組んだ琵琶湖岸の湖岸線を何度も何度も折れ曲がり、
約20分程車を走らせると、
ふわっ突然、視界にひとつの開けた集落の姿が飛び込んできます。

途端に、
今まで山肌ばかりだった左手に、
突然レストランや国民宿舎の看板が。
ここは、
菅浦への入口であると共に
奥琵琶湖パークウェイへの
入口でもあるんですね。
だから、菅浦の集落の中に無事たどり着くためには、こちらの分かれ道で
うっかり左の奥琵琶湖パークウェイへと入ってしまわないように、どうぞご注意下さいね。



この↓大きな樹木と、集落の中へと入る細い道がY字の分かれ道となった
少し広々とした場所が、菅浦への入口です。

広場のロータリーの中心となっているかのような樹木と石のところには、
50年ごとに行われ来年は千二百五十年記念の大祭になるという、
地元の須賀神社木製の立て札と郷土資料館の案内板が。


この広場の周囲・琵琶湖側に無料の駐車場があるので、菅浦の集落を訪れる方は、
ここに車を止めることが出来ます。
駐車場の反対側には、
郷土史料館への入口でもある須賀神社への参道と鳥居がありました。

山肌へと添うような真っ直ぐ伸びる参道を持つこの神社は、
元はこの地域に3つあった神社の神様を合祀した神社なのだそうで。


今も昔も地元の生活に密着し深い信仰を集めている、
奈良時代の皇族にも関わる古い伝承を持った神社さんなのだとか。


そんな神社や集落の歴史にまつわる貴重な古文書や宝物を収めた郷土史料館へ、
参道を少し折れてちょっとお邪魔してみましょう…♪
< 菅浦郷土史料館 >
こちらの史料館さんは、現在基本的に日曜日しか開館していません。
前日までにご予約のお電話をいただければ
担当の運営委員の方が開けてくださるそうなので、ご興味のある方で
どうしても日曜には来れない方は、一度お問い合わせしてみるのもおススメです。

ただ、ご担当の運営委員の方は1年ごとに地元の方が交代で務めておられるそうなので、
お電話の際にはこの記事の下に記載しています連絡先の詳細をご覧の上、
その旨をご配慮いただけると地元の方にも安心してご対応いただけると思いますので
よろしくお願いしますね。


館内には中世以降の惣村や自治に関する貴重な古文書や各種の記録、
神事に使用した古い能面や


神社の参拝者が礼拝する際に叩く約800年前の鰐口(わにぐち)に銅鏡等、
非常に貴重で興味深い史料が並びます。
地元の方には見慣れた、何の変哲もないものなのかもしれませんが。



個人的に興味深かったのは、この焼印の実物。
これ↑で、持ち物の木製品とかに自分のものであるという印をつけるそうですよ。


こちら↑は、伝統的な古民具等が集められた部屋。
琵琶湖の北端である大浦湾から菅浦界隈の地形を立体的にあらわした模型が、
運営委員さんの説明とあわせて
ここ菅浦が置かれた独特な地理条件を非常に分かりやすく見せてくれています。


昔、まだ大浦と菅浦を結ぶ道路が
なかった頃は、
この小さな湾の突端と突端を結ぶ
渡し舟があったのだそうですよ。
この船を使って
子ども達は学校等へと通ったので、
船頭さんが待機している岸と反対側で船を待つ子ども達は、↑この半鐘を鳴らして
船頭さんが船で迎えに来てくれるのを待ったのだとか。






他にも、様々に興味深い古民具の数々がいーっぱい!
これはどうやって使ったものなのかな…?なんて想像したり、運営委員さんに教えてもらったり。


ちょっとした時代劇気分なんかも楽しみながら♪
現代とはまた違ったものづくりや暮らしの先人の知恵に、驚いたり感心してみたり。


この辺りでは竹細工も盛んだったとかで、
ちょっと懐かしいような竹細工の数々も、ほのぼのとした懐かしさだけではなく、
むしろかえって新しささえも、感じてみたり。

←こちらは、
今年2012年いっぱいまでの
開館予定と、
史料館の運営委員の
担当者さまのご連絡先です。
参道の途中から見晴るかす、
(ほんとうは途中で振り返っちゃうのはもったいないんですけどねっ
)
参道の巨樹の向こう側の石鳥居や集落の瓦屋根に
キラキラと輝く琵琶湖の湖面の姿には、なんともいえない風情がいっぱい。

お参り前に史料館を堪能しちゃってすみませんと、心の中で謝りつつ(汗)
いざ、参道中腹の木製鳥居をくぐって、神社へお参りです♪


< 須賀神社 >
森閑とした佇まいの中に伸びた石段と、石段前に供えられた柵が印象的。


なんとこちらの神社さん、この柵より先石段以降は、土足厳禁なのだそうで。
地元の方は、昔はこれから先には裸足で入られていたのだとか。
約20年程前から、裸足ではなくスリッパで行かれるようになったのだそうですが。



どうぞ皆さんも、決して土足では入らず、この↑手水場(ちょうずば)の横に備えられた
スリッパに履き替えて、この階段を上がってくださいね。

古来から土足厳禁で信仰されている聖地めいた境内の石段だと思うと、
なんだかちょっと登るのも緊張しちゃいます…どきどき


白洲正子さんはじめ湖北を愛した文豪も訪れたというこの古い神社の静謐な境内は、
奈良時代「恵美押勝(えみのおしかつ)の乱」で道鏡や孝謙上皇に負け廃位に追い込まれた
淳仁(じゅんにん)天皇が、御隠棲していた保良の宮跡であるという
古くからの言い伝えがあるそうです。




本殿の裏山に淳仁天皇の御陵とされる塚があり、
本殿周囲を石で舟形に積んでいることから淳仁天皇舟形御陵とも言われているのだとか。
毎年大晦日には、集落の全員が老若男女問わず本殿に集まり、
「トシノミ(年の実)」という稲穂をもらい
次の新しい年1年間神棚にまつり、その年の豊穣を願うという習慣もあるのだそうで。


琵琶湖岸の浜で拾ってきた小石を藁の根元に包み込むように括って作られた
その稲穂は、次の大晦日に新しいものをもらうと古いものは軒先へと吊るし、
深い湖北の冬に野鳥等へと分け与えられるのだそうです。
…なんだか深いですよね。
< 菅浦の文化的景観 >
↓は、菅浦の文化的景観を象徴する建築遺物としても有名な、四足門(しそくもん)。

菅浦独特の形式をした集落の内と外を象徴的に示す門だそうで、現在は集落の
西と東の2ヶ所に残っていますが、昔は集落の東西南北4ヶ所にあったのだそうです。

その四足門を越え、菅浦の集落の中に入ってみれば。


細くうねったかわいらしい小道はまるで小さな迷路のようで、いかにも昔の港町集落らしい
佇まいに、ついつい歩いているだけでも心楽しくなってしまうのは私だけでしょうか…?

ふと細い路地からひらけた地元公民館の敷地内には、
淳仁天皇菩提寺寺跡の石碑と卒塔婆がひっそりと大切におまつりされていたり。


浅井長政が遺児とのゆかりが深かったといわれるお寺さんが、あったり。


ちょっと気になる
石碑や
石の道標等、
なんだか
お散歩の足が、
どうにもこうにも
止まりません…。
そして「歴史」というには、まだ比較的新しいものなのかもしれませんが。



集落内のあちこちに点在する、昭和30年頃から建てられ始めたという
ヤンマーの家庭工場の作業棟の佇まいも、なんだか独特の雰囲気で目を魅かれます。
(かのヤン坊マー坊天気予報や農業機械等で有名な企業・ヤンマーの創業者さんは、
今の滋賀県長浜市高月町東阿閉(ひがしあつじ)のご出身なんですよー

皆さん、ご存知でした…?
)

この日はお天気にも恵まれ、
集落内のあちこちには
この歴史の里のたたずまいに
芸術心を刺激された方々が、
そこかしこで
絵心を発揮される姿も、
ちらほらと…♪
ゆらゆら揺れるコスモスの向こう、
琵琶湖の湖面のさざ波光る、そんな波打ち際に、伸びる道。


東の四足門にたどり着く頃には、もう時間も忘れて、歴史の里散歩。

集落も山の手側ではなく湖岸の浜側には、昔ながらの琵琶湖の波除けの石垣が、今も残り。


家の玄関先・石垣と石垣のには、板を差し込んで挟み
嵐に寄せる琵琶湖の水が家の中へと浸水してくるのを防いだという、
そんな溝のあとも見えて。


ふとこうべを上げれば、
どこか映画の中でみたような、そんな小道と白壁と、外灯と。


なるほど「文化的景観」の選定も目指すだろうとうなずかされる、
そんなまちなみ。

今も残る…石垣と板とで門地をふさぐ、そんな習慣。
……
今に残された
その切ないくらいに何故か懐かしい佇まいは確かに訪れる人の心の琴線に触れ、
昔あきらめたはずのなにかを思い起こさせる、そんな価値のある風景。

陸の孤島の隠れ里・中世ロマン、
あなたもほんのひととき、そんなひみつの時間を楽しんでみるのも…たまにはいいですよね?



(情報は2012年10月現在。詳しくはお問い合わせ下さい。)
**********************************
菅浦郷土史料館
■所在地 〒522-0064 滋賀県長浜市西浅井町菅浦
□連絡先 2012年12月まで 0749-89-0965(担当:大橋正男さま)
2013年1月以降 0749-89-1121(長浜市役所西浅井支所地域振興課)
(1年毎に担当が変わります。2013年1月以降は、その年の担当者の方の
連絡先を、上記の長浜市役所西浅井支所地域振興課までお問い合わせください。)
■開館期間 4月~11月まで 毎週日曜日 10:00~16:00
(日曜日以外は、前日までに電話で要予約。)
■入館料 大人200円、小学生以下100円(協力会費)
□アクセス <自動車で> 北陸道木之本ICから国道8号線・303号線を西に約40分
<電 車 で> JR湖西線永原駅から湖国バス菅浦行きで約20分、終点下車すぐ
■駐車場 駐車場あり(無料)
□HP なし
■地 図 地図はこちら
**********************************
突然の秋の気配に、
ちょっと切なくなってみたり、にわかな旅心に誘われたりしていませんか?
まだ紅葉の季節には少し早いけど、
それでも日常とは違う何かに触れてみたくて、何かを求めてみたくて。
ふと絵筆やカメラを片手に、自分だけの小さな旅に出る…
そんな方々がこの季節よく訪れる、湖北は奥琵琶湖の隠れ里。
今日は、そんな秋の切ない芸術心を魅了する、ひっそりと人知れず
中世の面影を残した、歴史と文化の里をご紹介しますね。
< 歴史の里・菅浦の文化的景観と菅浦郷土史料館 >
それが、
今長浜市の教育委員会や地元の方々が国の重要文化的景観の選定を目指して
調査・活動中の歴史の里・菅浦の「文化的景観」です。
菅浦は、昭和40年代に菅浦~大浦間の自動車道路が整備されるまでは
琵琶湖に面して古く中世から栄えた集落でありながら、まさに
ほとんど陸の孤島といえるような状態でした。
国道303号線から大浦の交差点を通り過ぎ、そのまま湖岸を縫うように
車で走り続けると、その終点が菅浦です。
途中、琵琶湖畔のパーキングに設置された丸子船型のモニュメントを片目に
琵琶湖の北端・大浦湾にて行われている琵琶湖伝統のエリ漁の様子や
驚くほど近くに見える竹生島の島影を、眺めながら。
複雑に入り組んだ琵琶湖岸の湖岸線を何度も何度も折れ曲がり、
約20分程車を走らせると、
ふわっ突然、視界にひとつの開けた集落の姿が飛び込んできます。
途端に、
今まで山肌ばかりだった左手に、
突然レストランや国民宿舎の看板が。
ここは、
菅浦への入口であると共に
奥琵琶湖パークウェイへの
入口でもあるんですね。
だから、菅浦の集落の中に無事たどり着くためには、こちらの分かれ道で
うっかり左の奥琵琶湖パークウェイへと入ってしまわないように、どうぞご注意下さいね。
この↓大きな樹木と、集落の中へと入る細い道がY字の分かれ道となった
少し広々とした場所が、菅浦への入口です。
広場のロータリーの中心となっているかのような樹木と石のところには、
50年ごとに行われ来年は千二百五十年記念の大祭になるという、
地元の須賀神社木製の立て札と郷土資料館の案内板が。
この広場の周囲・琵琶湖側に無料の駐車場があるので、菅浦の集落を訪れる方は、
ここに車を止めることが出来ます。
駐車場の反対側には、
郷土史料館への入口でもある須賀神社への参道と鳥居がありました。
山肌へと添うような真っ直ぐ伸びる参道を持つこの神社は、
元はこの地域に3つあった神社の神様を合祀した神社なのだそうで。
今も昔も地元の生活に密着し深い信仰を集めている、
奈良時代の皇族にも関わる古い伝承を持った神社さんなのだとか。
そんな神社や集落の歴史にまつわる貴重な古文書や宝物を収めた郷土史料館へ、
参道を少し折れてちょっとお邪魔してみましょう…♪
< 菅浦郷土史料館 >
こちらの史料館さんは、現在基本的に日曜日しか開館していません。
前日までにご予約のお電話をいただければ
担当の運営委員の方が開けてくださるそうなので、ご興味のある方で
どうしても日曜には来れない方は、一度お問い合わせしてみるのもおススメです。
ただ、ご担当の運営委員の方は1年ごとに地元の方が交代で務めておられるそうなので、
お電話の際にはこの記事の下に記載しています連絡先の詳細をご覧の上、
その旨をご配慮いただけると地元の方にも安心してご対応いただけると思いますので
よろしくお願いしますね。

館内には中世以降の惣村や自治に関する貴重な古文書や各種の記録、
神事に使用した古い能面や
神社の参拝者が礼拝する際に叩く約800年前の鰐口(わにぐち)に銅鏡等、
非常に貴重で興味深い史料が並びます。
地元の方には見慣れた、何の変哲もないものなのかもしれませんが。
個人的に興味深かったのは、この焼印の実物。
これ↑で、持ち物の木製品とかに自分のものであるという印をつけるそうですよ。
こちら↑は、伝統的な古民具等が集められた部屋。
琵琶湖の北端である大浦湾から菅浦界隈の地形を立体的にあらわした模型が、
運営委員さんの説明とあわせて
ここ菅浦が置かれた独特な地理条件を非常に分かりやすく見せてくれています。
昔、まだ大浦と菅浦を結ぶ道路が
なかった頃は、
この小さな湾の突端と突端を結ぶ
渡し舟があったのだそうですよ。
この船を使って
子ども達は学校等へと通ったので、
船頭さんが待機している岸と反対側で船を待つ子ども達は、↑この半鐘を鳴らして
船頭さんが船で迎えに来てくれるのを待ったのだとか。
他にも、様々に興味深い古民具の数々がいーっぱい!
これはどうやって使ったものなのかな…?なんて想像したり、運営委員さんに教えてもらったり。
ちょっとした時代劇気分なんかも楽しみながら♪
現代とはまた違ったものづくりや暮らしの先人の知恵に、驚いたり感心してみたり。
この辺りでは竹細工も盛んだったとかで、
ちょっと懐かしいような竹細工の数々も、ほのぼのとした懐かしさだけではなく、
むしろかえって新しささえも、感じてみたり。
←こちらは、
今年2012年いっぱいまでの
開館予定と、
史料館の運営委員の
担当者さまのご連絡先です。
参道の途中から見晴るかす、
(ほんとうは途中で振り返っちゃうのはもったいないんですけどねっ


参道の巨樹の向こう側の石鳥居や集落の瓦屋根に
キラキラと輝く琵琶湖の湖面の姿には、なんともいえない風情がいっぱい。
お参り前に史料館を堪能しちゃってすみませんと、心の中で謝りつつ(汗)
いざ、参道中腹の木製鳥居をくぐって、神社へお参りです♪
< 須賀神社 >
森閑とした佇まいの中に伸びた石段と、石段前に供えられた柵が印象的。
なんとこちらの神社さん、この柵より先石段以降は、土足厳禁なのだそうで。
地元の方は、昔はこれから先には裸足で入られていたのだとか。
約20年程前から、裸足ではなくスリッパで行かれるようになったのだそうですが。
どうぞ皆さんも、決して土足では入らず、この↑手水場(ちょうずば)の横に備えられた
スリッパに履き替えて、この階段を上がってくださいね。
古来から土足厳禁で信仰されている聖地めいた境内の石段だと思うと、
なんだかちょっと登るのも緊張しちゃいます…どきどき

白洲正子さんはじめ湖北を愛した文豪も訪れたというこの古い神社の静謐な境内は、
奈良時代「恵美押勝(えみのおしかつ)の乱」で道鏡や孝謙上皇に負け廃位に追い込まれた
淳仁(じゅんにん)天皇が、御隠棲していた保良の宮跡であるという
古くからの言い伝えがあるそうです。
本殿の裏山に淳仁天皇の御陵とされる塚があり、
本殿周囲を石で舟形に積んでいることから淳仁天皇舟形御陵とも言われているのだとか。
毎年大晦日には、集落の全員が老若男女問わず本殿に集まり、
「トシノミ(年の実)」という稲穂をもらい
次の新しい年1年間神棚にまつり、その年の豊穣を願うという習慣もあるのだそうで。
琵琶湖岸の浜で拾ってきた小石を藁の根元に包み込むように括って作られた
その稲穂は、次の大晦日に新しいものをもらうと古いものは軒先へと吊るし、
深い湖北の冬に野鳥等へと分け与えられるのだそうです。
…なんだか深いですよね。
< 菅浦の文化的景観 >
↓は、菅浦の文化的景観を象徴する建築遺物としても有名な、四足門(しそくもん)。
菅浦独特の形式をした集落の内と外を象徴的に示す門だそうで、現在は集落の
西と東の2ヶ所に残っていますが、昔は集落の東西南北4ヶ所にあったのだそうです。
その四足門を越え、菅浦の集落の中に入ってみれば。
細くうねったかわいらしい小道はまるで小さな迷路のようで、いかにも昔の港町集落らしい
佇まいに、ついつい歩いているだけでも心楽しくなってしまうのは私だけでしょうか…?
ふと細い路地からひらけた地元公民館の敷地内には、
淳仁天皇菩提寺寺跡の石碑と卒塔婆がひっそりと大切におまつりされていたり。
浅井長政が遺児とのゆかりが深かったといわれるお寺さんが、あったり。
ちょっと気になる
石碑や
石の道標等、
なんだか
お散歩の足が、
どうにもこうにも
止まりません…。
そして「歴史」というには、まだ比較的新しいものなのかもしれませんが。
集落内のあちこちに点在する、昭和30年頃から建てられ始めたという
ヤンマーの家庭工場の作業棟の佇まいも、なんだか独特の雰囲気で目を魅かれます。
(かのヤン坊マー坊天気予報や農業機械等で有名な企業・ヤンマーの創業者さんは、
今の滋賀県長浜市高月町東阿閉(ひがしあつじ)のご出身なんですよー


皆さん、ご存知でした…?


この日はお天気にも恵まれ、
集落内のあちこちには
この歴史の里のたたずまいに
芸術心を刺激された方々が、
そこかしこで
絵心を発揮される姿も、
ちらほらと…♪
ゆらゆら揺れるコスモスの向こう、
琵琶湖の湖面のさざ波光る、そんな波打ち際に、伸びる道。
東の四足門にたどり着く頃には、もう時間も忘れて、歴史の里散歩。
集落も山の手側ではなく湖岸の浜側には、昔ながらの琵琶湖の波除けの石垣が、今も残り。
家の玄関先・石垣と石垣のには、板を差し込んで挟み
嵐に寄せる琵琶湖の水が家の中へと浸水してくるのを防いだという、
そんな溝のあとも見えて。
ふとこうべを上げれば、
どこか映画の中でみたような、そんな小道と白壁と、外灯と。
なるほど「文化的景観」の選定も目指すだろうとうなずかされる、
そんなまちなみ。
今も残る…石垣と板とで門地をふさぐ、そんな習慣。
……
今に残された
その切ないくらいに何故か懐かしい佇まいは確かに訪れる人の心の琴線に触れ、
昔あきらめたはずのなにかを思い起こさせる、そんな価値のある風景。
陸の孤島の隠れ里・中世ロマン、
あなたもほんのひととき、そんなひみつの時間を楽しんでみるのも…たまにはいいですよね?


(情報は2012年10月現在。詳しくはお問い合わせ下さい。)
**********************************
菅浦郷土史料館
■所在地 〒522-0064 滋賀県長浜市西浅井町菅浦
□連絡先 2012年12月まで 0749-89-0965(担当:大橋正男さま)
2013年1月以降 0749-89-1121(長浜市役所西浅井支所地域振興課)
(1年毎に担当が変わります。2013年1月以降は、その年の担当者の方の
連絡先を、上記の長浜市役所西浅井支所地域振興課までお問い合わせください。)
■開館期間 4月~11月まで 毎週日曜日 10:00~16:00
(日曜日以外は、前日までに電話で要予約。)
■入館料 大人200円、小学生以下100円(協力会費)
□アクセス <自動車で> 北陸道木之本ICから国道8号線・303号線を西に約40分
<電 車 で> JR湖西線永原駅から湖国バス菅浦行きで約20分、終点下車すぐ
■駐車場 駐車場あり(無料)
□HP なし
■地 図 地図はこちら
**********************************
Posted by しがまにあスタッフ at 20:00
│伊香郡