2012年09月06日
朽木資料館
「鯖街道」で知られる高島市・朽木。
若狭から京都大原へ通じる西近江路の脇街道として
古くから経済・軍事上の要路でもありました。
その歴史を伝えるのが「朽木資料館」です。
近年、敷地内に茅葺き民家が移築され
山里ならではの暮らしの文化を間近に体験できるようになっています。
朽木街道を南から北へドライブするのもいいものですが
今回はJR安曇川駅からバスで一路、朽木へ。
だんだんと山が深くなり、バスの窓から渓谷が見えてきます。
安曇川駅から30分弱。「朽木グランド前」で下車すると、目の前は「山神社」。
そこから歩いてすぐのところに資料館はあります。
資料館の入り口が「冠木門」になっているのは、ここが「陣屋跡」だから。
朽木といえば、領主は朽木氏。
その歴史は大河ドラマで話題の『平家物語』の時代までさかのぼり
源平が戦った宇治川の戦いの軍功で、朽木荘を与えられたことがはじまり。
以来、朽木は領主の朽木氏が鎌倉時代から明治維新まで
およそ600年にもわたって統治してきた地域。
一つの家が継続して同じ領地を治め続けたのは日本でも珍しく
そのため、多くの貴重な古文書類などが伝えられてきました。
資料館のある「朽木陣屋屋敷跡」とは、関ヶ原の戦い後に設けられたもので
御殿や侍所、剣術道場、馬場、たくさんの侍部屋や倉庫などがあったといわれています。
中へ入ると、正面に展示されているのは「朽木池ノ沢庭園」についての資料。
12~13世紀ごろの庭園遺跡で、今年1月に国の名勝に指定されました。
こちらは陣屋の模型。いまの資料館の敷地よりもずっと広かったようです。
1Fの展示室には、中世の高島の城について紹介されています。
大溝城や新庄城など、たくさんあったんですね。出土品も並んでいました。
また、朽木に伝わる民具も展示。
これは背負布団と呼ばれるもので、背負い運搬の際、背中あてに使われたものとか。
自動車のない時代、これを背負って荷物を運び、峠を行き来したんですね。
朽木は木地(木の器)でも知られる地。
独特の「手挽きろくろ」も伝わっています。県の有形民俗文化財です。
こちらは複製品で、実際に手に取って使ってみることができます。
2Fの展示室にはさらに興味深いものが。
木地屋用具をはじめ、伝来の資料や民具がたくさん並んでいます。
「朽木盆」と呼ばれる見事な器。
木地山のろくろ師が挽いた木地に、岩神(現・下岩瀬)の塗師が漆工した器。
その模様から「菊盆」とも呼ばれています。
こちらが文化財に指定されている二人挽きの「ろくろ」。希少な現存品です。
また、朽木は軍事の面でもさまざまな伝承が残る地。
こちらは織田信長が、朝倉攻めで朽木から逃げ伸びた際
それを助けた者に与えたとされる革袴(複製)。
信長もこの街道を駆けたんですね。
朽木は麻織物でも知られています。
こちらは珍しい「麻蒸樽」。
渓谷の水にさらし、麻を織ったそうです。
朽木が排出した幕末の文客・池田白鷗。
その遺品もこちらに伝わっています。
絵筆のほか、白鷗が残した書画も展示されていました。
消防団の用具も並んでいます。
こちらは紙貼りバケツ。
寛文2年(1662年)に葛川を進言とする大地震が起こり
それを機に町火消しが結成された朽木地区。
それは明治・大正・戦前・戦後も受け継がれたのだそうです。
ほかにも山仕事の道具、炭焼きの道具など多数展示されています。
資料館を出て、敷地に移築された茅葺き民家へ行ってみましょう。
朽木能家地区から移築された江戸末期の民家です。
深い軒は豪雪地帯ならではでしょうか。
家のなかは昼でも薄暗い。
こちらの戸棚は「若狭塗」。北陸文化が交わる地でもあるのですね。
道具類も細かなものまで残っています。
囲炉裏にかまど、機織りまで。
籠や消防ポンプもありました。
陣屋跡には井戸も残っています。
古い石積みはまさにつわものどもが夢の跡。
民家を背景に時代劇などのロケも行われるそうです。
資料館を出たら、せっかくなので少し歩いて朽木のまちを散策してみましょう。
山神橋を渡ると、市場商店街に出ます。
ここは鯖街道の古い町並みが残っています。
山里のまちに残るヴォーリズ建築の郵便局。
こちらの「丸八百貨店」は登録文化財です。
釣りやキャンプなど、レジャー施設も多い朽木。
せっかくなので、街道文化に触れてみるのもいいものです。
※情報は2012年9月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
************************************
朽木資料館
★住所 高島市朽木野尻478-22
★電話 0740‐38‐2339
★入館料 無料
★開館時間 9:00~16:30
★休館日 月曜・火曜・祝日
★地図 地図はこちら
若狭から京都大原へ通じる西近江路の脇街道として
古くから経済・軍事上の要路でもありました。
その歴史を伝えるのが「朽木資料館」です。
近年、敷地内に茅葺き民家が移築され
山里ならではの暮らしの文化を間近に体験できるようになっています。
朽木街道を南から北へドライブするのもいいものですが
今回はJR安曇川駅からバスで一路、朽木へ。
だんだんと山が深くなり、バスの窓から渓谷が見えてきます。
安曇川駅から30分弱。「朽木グランド前」で下車すると、目の前は「山神社」。
そこから歩いてすぐのところに資料館はあります。
資料館の入り口が「冠木門」になっているのは、ここが「陣屋跡」だから。
朽木といえば、領主は朽木氏。
その歴史は大河ドラマで話題の『平家物語』の時代までさかのぼり
源平が戦った宇治川の戦いの軍功で、朽木荘を与えられたことがはじまり。
以来、朽木は領主の朽木氏が鎌倉時代から明治維新まで
およそ600年にもわたって統治してきた地域。
一つの家が継続して同じ領地を治め続けたのは日本でも珍しく
そのため、多くの貴重な古文書類などが伝えられてきました。
資料館のある「朽木陣屋屋敷跡」とは、関ヶ原の戦い後に設けられたもので
御殿や侍所、剣術道場、馬場、たくさんの侍部屋や倉庫などがあったといわれています。
中へ入ると、正面に展示されているのは「朽木池ノ沢庭園」についての資料。
12~13世紀ごろの庭園遺跡で、今年1月に国の名勝に指定されました。
こちらは陣屋の模型。いまの資料館の敷地よりもずっと広かったようです。
1Fの展示室には、中世の高島の城について紹介されています。
大溝城や新庄城など、たくさんあったんですね。出土品も並んでいました。
また、朽木に伝わる民具も展示。
これは背負布団と呼ばれるもので、背負い運搬の際、背中あてに使われたものとか。
自動車のない時代、これを背負って荷物を運び、峠を行き来したんですね。
朽木は木地(木の器)でも知られる地。
独特の「手挽きろくろ」も伝わっています。県の有形民俗文化財です。
こちらは複製品で、実際に手に取って使ってみることができます。
2Fの展示室にはさらに興味深いものが。
木地屋用具をはじめ、伝来の資料や民具がたくさん並んでいます。
「朽木盆」と呼ばれる見事な器。
木地山のろくろ師が挽いた木地に、岩神(現・下岩瀬)の塗師が漆工した器。
その模様から「菊盆」とも呼ばれています。
こちらが文化財に指定されている二人挽きの「ろくろ」。希少な現存品です。
また、朽木は軍事の面でもさまざまな伝承が残る地。
こちらは織田信長が、朝倉攻めで朽木から逃げ伸びた際
それを助けた者に与えたとされる革袴(複製)。
信長もこの街道を駆けたんですね。
朽木は麻織物でも知られています。
こちらは珍しい「麻蒸樽」。
渓谷の水にさらし、麻を織ったそうです。
朽木が排出した幕末の文客・池田白鷗。
その遺品もこちらに伝わっています。
絵筆のほか、白鷗が残した書画も展示されていました。
消防団の用具も並んでいます。
こちらは紙貼りバケツ。
寛文2年(1662年)に葛川を進言とする大地震が起こり
それを機に町火消しが結成された朽木地区。
それは明治・大正・戦前・戦後も受け継がれたのだそうです。
ほかにも山仕事の道具、炭焼きの道具など多数展示されています。
資料館を出て、敷地に移築された茅葺き民家へ行ってみましょう。
朽木能家地区から移築された江戸末期の民家です。
深い軒は豪雪地帯ならではでしょうか。
家のなかは昼でも薄暗い。
こちらの戸棚は「若狭塗」。北陸文化が交わる地でもあるのですね。
道具類も細かなものまで残っています。
囲炉裏にかまど、機織りまで。
籠や消防ポンプもありました。
陣屋跡には井戸も残っています。
古い石積みはまさにつわものどもが夢の跡。
民家を背景に時代劇などのロケも行われるそうです。
資料館を出たら、せっかくなので少し歩いて朽木のまちを散策してみましょう。
山神橋を渡ると、市場商店街に出ます。
ここは鯖街道の古い町並みが残っています。
山里のまちに残るヴォーリズ建築の郵便局。
こちらの「丸八百貨店」は登録文化財です。
釣りやキャンプなど、レジャー施設も多い朽木。
せっかくなので、街道文化に触れてみるのもいいものです。
※情報は2012年9月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
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朽木資料館
★住所 高島市朽木野尻478-22
★電話 0740‐38‐2339
★入館料 無料
★開館時間 9:00~16:30
★休館日 月曜・火曜・祝日
★地図 地図はこちら
Posted by しがまにあスタッフ at 20:00
│高島