2012年05月24日
蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)
滋賀が輩出した経済人や芸術家はたくさんいますが
今回はその足跡のひとつを訪ねたいと思います。
明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家・山元春挙(しゅんきょ)。
大津市の膳所に産まれ、竹内栖鳳とともに京都画壇の両雄として並び称された
春挙の別荘庭園が、生地にほど近い大津市中庄に残っています。
「蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)」と名付けられたこの別荘は
春挙が7年以上もの歳月をかけて完成させただけあって
意匠や技法に優れた建築物として国の重要文化財に指定されています。
場所は、膳所城跡公園にもほど近い、湖岸道路沿い。
この道路が通るまでは、庭がそのまま琵琶湖へ通じていたそうです。
当時のようすを覚えていらっしゃる方もまだ多いかも。
寄棟檜皮葺の門には、春挙の筆による『蘆花浅水荘』の額が掲げられ
なかへ一歩入ると、道路の喧騒が嘘のような別天地。
広々と開けた庭には「記恩堂」があり、春挙のご子息によって
ここは「記恩寺」というお寺になっています。
春挙は京都御苑の近くに居をかまえていましたが、
大正3年、師である森寛斎と両親の恩に記す目的で
持仏堂と別荘の建設を思い立ちます。
こちらは別荘庭園が琵琶湖に面していたころのようす。
蘆花浅水荘とは、唐の詩人・司空曙の作からとったもので
釣罷帰来不繋船 (釣罷んで帰り来たり 船を繋がず)
江村月落将堪眠 (江村月落ちてまさに眠るに堪えたり)
縦然一夜風吹去 (よし一夜風吹き去るも)
只在蘆花浅水辺 (只在らん 蘆花浅水の辺り)
膳所の湖畔の風物をこの詞になぞらえたといい、
琵琶湖や対岸の近江富士(三上山)を借景にして
自然のなかに自己の芸術を表現しようとしたといいます。
つまりこの別荘庭園そのものが、春挙の作品の一つというわけです。
実際にいくつかは自分自身で図面も引いたそう。
本当にマルチな才能があった人なんですね。
春挙はここで、昭和天皇の即位御大典にあたり、屏風の大作を仕上げていて
数多くの弟子たちとともに、ここで絵筆をふるいました。
大正15年にはフランス政府より、
シュヴァリェ・ドラ・レジョン・ドノール勲章を受けています。
では早速、なかを見てまわりましょう。
案内してくださったのは山元寛昭さん。
春挙のお孫さんにあたる方です。
こちらが書院。
庭に大きく開けた窓が、まるで六双一対の屏風のようです。
数寄屋造りで極力柱をなくした構造は建築的にも価値が高く
春挙の強い意図が反映されています。
「春挙松」と呼ばれたほど、松の木を得意とした春挙。
庭にも、絶妙のバランスで松が配されていて、
琵琶湖の借景が失われたのは残念でなりません。
書院の床は二帖と大きく、庭の迫力に負けないゆったりとした造形。
頼山陽の扁額「養吾浩之気」が掲げられています。
次の間は仏間。
よく見ると襖の引手が半月のかたちになっていて
高さも微妙に異なります。
これは月が空をいく時間の経過を表しているそう。
なんとも遊び心にあふれています。
その奥にあるのが、茶室になっている「残月の間」。
その名の通り、襖の引き手が「残月」になっていて
書院の円(満月)→仏間の半月→残月と、
部屋を移るごとに、月が満ち欠けするようになっているんです。
残月の間の障子は、茶庭を切り取った一幅の絵という趣向。
そして何とも圧巻なのが、入縁の船底天井。
五間半もの長さを北山杉の1本柱が通っています。
庭のすぐそばまで湖の波打ち際が来ていたころは
ここにいるだけで「屋形舟」に乗ったような心地になったことでしょう。
書院の前の入縁を横切って奥へ進むと「莎香亭」。
ここに配された襖には、春挙自らがデザインした松の唐紙が貼られています。
こちらの引き手は「千鳥」。松の唐紙をあわせたもので
互い違いになっているのが、千鳥が楽しげに飛びかっているよう。
いくつもの大作を描いた春挙ですが、この別邸には不思議と大きな襖絵などはなく
松の唐紙をはじめ、さらりと描いた小さな襖絵などを見つけるのも
春挙の遊び心に触れるようで楽しいものです。
莎香亭から見える庭。夏になると、葦が茂ります。
庇の裏にも葦で編んだ網代。
また、窓のすぐ下に切られた四角い手水は膳所城の遺構。
ちょうど中秋の名月が移り込むように配されているというから驚きです。
莎香亭からにじり口のように小さな扉を開けて入ったところは
「無尽蔵」と名付けられた小部屋。梅が描かれています。
ここで春挙は画想を練ったそう。
そういえば狭い部屋にいるとアイデアが浮かんでくるといいますよね。
こちらは竹の間。
その名の通り、まさに竹づくしです。
丸窓には、自然に枝分かれした竹がはめ込まれています。
窓を閉めると「満月にススキ」が見えるという趣向。
竹の間の窓から、無尽蔵の梅、庭の松が見え、
ここからの景色で「松竹梅」がそろいます。
こちらの襖は「竹に雀」です。
引き手の雀が竹製という徹底ぶり。
二階に上がってさらに驚きました。
外からはまったくわかりませんでしたが、二階はなんと洋館になっています。
暖炉が切ってあり、高い天井にはシャンデリア。
照明器具や飾り彫りなどには、山元家の家紋である「ききょう」があしらわれています。
こちらが、春挙が作品を描いた画室。
大作を手掛けた春挙らしく、高い天井と広々した間取りになっています。
現在は記恩寺の本堂に。
片隅には、春挙が使った筆や絵の道具も残されていました。
右は岩絵の具の専用棚で、中で回転して色が選びやすくなっています。
ほかにも女中さんを呼ぶためのブザーをつけるなど
アイデアマンらしい春挙の工夫があちこちに。
昭和8年。61歳で突然の病に倒れた春挙。
絵皿に残された絵の具は、春挙が溶いたままのものでしょうか。
画室の壁面にかけられていたのは春挙の出世作である「法塵一掃」の下絵。
こちらの本画は現在、滋賀県立近代美術館の所蔵になっています。
作品解説はこちら
庭に出て邸宅を眺めると、春挙の思いがより伝わってくるようです。
昔はこの石段のあたりまでが湖の水際で、ここから船を出して船遊びをしたとか。
一人の画家が描き出した壮大な建築美。
ぜひその目でご覧になってみてください。
見学は3日前までにご予約を。
※情報は2012年5月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
************************************
蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)・記恩寺
★住所 大津市中庄1丁目19-23
★電話 077‐522‐2183 ※希望日の3日前までに要予約
★拝観料 大人500円
★拝観日 予約カレンダー → ★
★拝観時間 9:00~16:00
★HP http://www001.upp.so-net.ne.jp/rokasensuisou/top.htm
★地図 地図はこちら
今回はその足跡のひとつを訪ねたいと思います。
明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家・山元春挙(しゅんきょ)。
大津市の膳所に産まれ、竹内栖鳳とともに京都画壇の両雄として並び称された
春挙の別荘庭園が、生地にほど近い大津市中庄に残っています。
「蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)」と名付けられたこの別荘は
春挙が7年以上もの歳月をかけて完成させただけあって
意匠や技法に優れた建築物として国の重要文化財に指定されています。
場所は、膳所城跡公園にもほど近い、湖岸道路沿い。
この道路が通るまでは、庭がそのまま琵琶湖へ通じていたそうです。
当時のようすを覚えていらっしゃる方もまだ多いかも。
寄棟檜皮葺の門には、春挙の筆による『蘆花浅水荘』の額が掲げられ
なかへ一歩入ると、道路の喧騒が嘘のような別天地。
広々と開けた庭には「記恩堂」があり、春挙のご子息によって
ここは「記恩寺」というお寺になっています。
春挙は京都御苑の近くに居をかまえていましたが、
大正3年、師である森寛斎と両親の恩に記す目的で
持仏堂と別荘の建設を思い立ちます。
こちらは別荘庭園が琵琶湖に面していたころのようす。
蘆花浅水荘とは、唐の詩人・司空曙の作からとったもので
釣罷帰来不繋船 (釣罷んで帰り来たり 船を繋がず)
江村月落将堪眠 (江村月落ちてまさに眠るに堪えたり)
縦然一夜風吹去 (よし一夜風吹き去るも)
只在蘆花浅水辺 (只在らん 蘆花浅水の辺り)
膳所の湖畔の風物をこの詞になぞらえたといい、
琵琶湖や対岸の近江富士(三上山)を借景にして
自然のなかに自己の芸術を表現しようとしたといいます。
つまりこの別荘庭園そのものが、春挙の作品の一つというわけです。
実際にいくつかは自分自身で図面も引いたそう。
本当にマルチな才能があった人なんですね。
春挙はここで、昭和天皇の即位御大典にあたり、屏風の大作を仕上げていて
数多くの弟子たちとともに、ここで絵筆をふるいました。
大正15年にはフランス政府より、
シュヴァリェ・ドラ・レジョン・ドノール勲章を受けています。
では早速、なかを見てまわりましょう。
案内してくださったのは山元寛昭さん。
春挙のお孫さんにあたる方です。
こちらが書院。
庭に大きく開けた窓が、まるで六双一対の屏風のようです。
数寄屋造りで極力柱をなくした構造は建築的にも価値が高く
春挙の強い意図が反映されています。
「春挙松」と呼ばれたほど、松の木を得意とした春挙。
庭にも、絶妙のバランスで松が配されていて、
琵琶湖の借景が失われたのは残念でなりません。
書院の床は二帖と大きく、庭の迫力に負けないゆったりとした造形。
頼山陽の扁額「養吾浩之気」が掲げられています。
次の間は仏間。
よく見ると襖の引手が半月のかたちになっていて
高さも微妙に異なります。
これは月が空をいく時間の経過を表しているそう。
なんとも遊び心にあふれています。
その奥にあるのが、茶室になっている「残月の間」。
その名の通り、襖の引き手が「残月」になっていて
書院の円(満月)→仏間の半月→残月と、
部屋を移るごとに、月が満ち欠けするようになっているんです。
残月の間の障子は、茶庭を切り取った一幅の絵という趣向。
そして何とも圧巻なのが、入縁の船底天井。
五間半もの長さを北山杉の1本柱が通っています。
庭のすぐそばまで湖の波打ち際が来ていたころは
ここにいるだけで「屋形舟」に乗ったような心地になったことでしょう。
書院の前の入縁を横切って奥へ進むと「莎香亭」。
ここに配された襖には、春挙自らがデザインした松の唐紙が貼られています。
こちらの引き手は「千鳥」。松の唐紙をあわせたもので
互い違いになっているのが、千鳥が楽しげに飛びかっているよう。
いくつもの大作を描いた春挙ですが、この別邸には不思議と大きな襖絵などはなく
松の唐紙をはじめ、さらりと描いた小さな襖絵などを見つけるのも
春挙の遊び心に触れるようで楽しいものです。
莎香亭から見える庭。夏になると、葦が茂ります。
庇の裏にも葦で編んだ網代。
また、窓のすぐ下に切られた四角い手水は膳所城の遺構。
ちょうど中秋の名月が移り込むように配されているというから驚きです。
莎香亭からにじり口のように小さな扉を開けて入ったところは
「無尽蔵」と名付けられた小部屋。梅が描かれています。
ここで春挙は画想を練ったそう。
そういえば狭い部屋にいるとアイデアが浮かんでくるといいますよね。
こちらは竹の間。
その名の通り、まさに竹づくしです。
丸窓には、自然に枝分かれした竹がはめ込まれています。
窓を閉めると「満月にススキ」が見えるという趣向。
竹の間の窓から、無尽蔵の梅、庭の松が見え、
ここからの景色で「松竹梅」がそろいます。
こちらの襖は「竹に雀」です。
引き手の雀が竹製という徹底ぶり。
二階に上がってさらに驚きました。
外からはまったくわかりませんでしたが、二階はなんと洋館になっています。
暖炉が切ってあり、高い天井にはシャンデリア。
照明器具や飾り彫りなどには、山元家の家紋である「ききょう」があしらわれています。
こちらが、春挙が作品を描いた画室。
大作を手掛けた春挙らしく、高い天井と広々した間取りになっています。
現在は記恩寺の本堂に。
片隅には、春挙が使った筆や絵の道具も残されていました。
右は岩絵の具の専用棚で、中で回転して色が選びやすくなっています。
ほかにも女中さんを呼ぶためのブザーをつけるなど
アイデアマンらしい春挙の工夫があちこちに。
昭和8年。61歳で突然の病に倒れた春挙。
絵皿に残された絵の具は、春挙が溶いたままのものでしょうか。
画室の壁面にかけられていたのは春挙の出世作である「法塵一掃」の下絵。
こちらの本画は現在、滋賀県立近代美術館の所蔵になっています。
作品解説はこちら
庭に出て邸宅を眺めると、春挙の思いがより伝わってくるようです。
昔はこの石段のあたりまでが湖の水際で、ここから船を出して船遊びをしたとか。
一人の画家が描き出した壮大な建築美。
ぜひその目でご覧になってみてください。
見学は3日前までにご予約を。
※情報は2012年5月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
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蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)・記恩寺
★住所 大津市中庄1丁目19-23
★電話 077‐522‐2183 ※希望日の3日前までに要予約
★拝観料 大人500円
★拝観日 予約カレンダー → ★
★拝観時間 9:00~16:00
★HP http://www001.upp.so-net.ne.jp/rokasensuisou/top.htm
★地図 地図はこちら
Posted by しがまにあスタッフ at 20:00
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