天寧寺
彦根藩として井伊家のもとで栄えた彦根には、
今も井伊家と関係の深い史跡や社寺がたくさん残っています。
五百羅漢の寺として知られる
『天寧寺(てんねいじ)』には、
彦根藩13代藩主・
井伊直弼の供養塔と、
直弼の参謀を務めた長野主膳の墓、
二人を陰で支えた村山たか女の碑が建てられています。
なぜ天寧寺に井伊直弼の供養塔があるのかには、
非常に複雑な事情があります。
もともと天寧寺は、井伊直政が実母の供養のために建てた寺でした。
その後ずっと天寧寺は、井伊藩主の菩提寺の隠居寺であると同時に、
藩主が心を休ませに行く、隠れ家的な場所になっていました。
直弼も青年時代から天寧寺に通い、「萩の寺」と呼んで愛し、
心安らぐひと時を過ごしていたといいます。
井伊直弼が桜田門外の変で命を落とした際、
隠すように持ち帰られた暗殺時の遺品がありました。
表向きは「病死」だと発表していたため、それら暗殺の証拠を
表立って供養することはできなかったのです。そこで天寧寺に埋葬され、
供養塔が建てられることになったのです。
井伊直弼の供養塔の側には、長野主膳の歌碑と墓も存在します。
秋になると、萩の花に埋もれてしまうのですが、
ほかの場所に萩を植えてもあまり根付かないのに、
長野主膳の墓の周囲だけは、よく成長するとの話もあるとか。
歌碑には次の歌が刻まれています。
「君がこの今日の出でまし待得てぞ 萩の錦もはえまさりける」
また、ふたりの墓の傍らにひっそりと隠れるように
ふたりを影から助けたといわれる
村山たか女の碑もあります。
五百羅漢さんも時間をかけてじっくり拝観したいところです。
「
亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と
いわれる境内の木造五百羅漢には、必ず自分の会いたい人の顔があるといいます。
過去に亡くした大切な人を偲ぶために、羅漢さんに会いにいくのもいいかもしれません。
裏手には近江七福神「布袋尊」や庭園もあります。
坂道を上った上に建つお寺ですので、
彦根の町並みを一望できるのも特徴です。
代々の彦根藩主は、ここから彦根の町を眺めたのかもしれません。
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<拝観料>400円
※情報は2010年10月現在、詳しくは直接お問い合わせください。
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天寧寺
★住所 彦根市里根町232
★電話 0749-22-5313
★開館 9:00~17:00(冬は16:00まで)
★休館 無休
★地図
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