膳所城跡公園の桜と城下町

しがまにあスタッフ

2012年03月29日 20:00

まもなく桜の季節。今年は少し遅めといわれていますが
日々、開花情報などをチェックしてお花見の計画を立てている方も
多いのではないでしょうか?

今回ご紹介するのは、大津エリアでお花見の「定番!」といわれる
「膳所城跡公園」。

ここは膳所六万石の居城跡です。


(写真提供:びわこビジターズビューロー ※以下★印)

例年の見頃は4月上旬から中旬で
恒例の「膳所桜まつり」は、今年は4月8日(日)に開催予定です。


(★)


いまはまだつぼみ。ここ数日のあたたかさでさらに膨らみそうですね。

(★)

(★)

ヤマザクラやソメイヨシノなど150本が植えられていて
毎年、お弁当などを持って出かける人でにぎわいます。




せっかくなので、膳所城跡をめぐってみましょう。



公園入り口の立て看板に、昔のお城の様子が描かれていました。



「現在地」と書かれているのが入口の門あたり。
いま公園になっているのは主に本丸跡なんですね。




緑の茂っているあたりが膳所城跡。
少し離れてみると、湖に突き出した「水城」だったことがよくわかります。



残念ながら、明治3年の廃城で、遺構はほとんどここに残っていません。


膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦のあと、築城の名手といわれた藤堂高虎に銘じて造らせた城。

湖水を利用し、西側に天然の堀を巡らせた水城で
白亜の天守閣や城壁の櫓が湖面に浮かぶ姿は、たいへん美しかったといわれています。


「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(ぎぼし)、水に映るは膳所の城」とうたわれました。


戸田、本多、菅沼、石川と城主が変わり、明治に楼閣は取り壊されましたが
遺構が城下町の各地に移築されています。






けれども、湖に面したこの緑地は、いつも子どもたちの遊ぶ姿や
一休みするお年寄り、ウォーキングを楽しむ人たちが絶えません。

実は私も幼いころ、ここで遊んだ一人なんです。



ベンチから一望できるのは、青い湖に白く伸びる近江大橋。
釣りを楽しむ人の姿もちらほら。



すぐ横には湖最南端の「えり」漁がおこなわれている様子も見えます。




公園の片隅にひっそりたたずむお地蔵様。



これは「石鹿地蔵」と呼ばれていて、織田信長が比叡山を焼き打ちした際
山内にあった地蔵を坂本城の礎石にしたもの。

坂本城から大津城、そして膳所城の礎石として移され
明治の廃城の際、約300年ぶりに姿を現し、のちにここへ祀られたのだとか。

まさに膳所城の歴史の証人でもあるわけです。






先ほどの門の横にあった立て看板を良く読んでみると
城の遺構が近隣に移築されているのがよくわかります。



この地図を頼りにめぐってみましょう。


まず公園にほど近い「膳所神社」。



中世には武将たちの信仰が厚く、豊臣秀吉や徳川家康が神器を奉納したという記録も残っているとか。



正面の門は、膳所城の本丸大手門。重要文化財です。



門の瓦を良くみると、本多家の「立葵紋」が。



その膳所神社のすぐそば。滋賀県随一の名門校「膳所高校」は
藩校「遵義堂」があった場所。その跡地に学校がつくられたんですね。



また、膳所神社から東へ向かうと「安昌寺」があり
そこには「膳所烈士墓所」の文字が。

これは幕末、将軍家茂を膳所藩士が暗殺しようとしているという噂が流れた折、
藩が中老保田信解以下十一名の尊攘派を切腹・斬罪に処した、いわゆる「膳所事件」の
犠牲者を供養するもの。


また、膳所高校から東海道を西へ向かった住宅街のなかにあるのが「六体地蔵堂」。



300年以上前から信仰を集めるお地蔵様で
そのお堂として、膳所城からお碗倉が移築されました。
すぐ近くに架かる石橋もお城の遺構を移したもの。



なにげなく通っていた街角にそんな歴史があったなんて、ちょっと驚きです。



こちらは木下町のにある「響忍寺」。



ここの門は、藩家老の屋敷門だったもの。


「和田神社」の本殿は鎌倉時代の建築で重要文化財。
ここの表門に、藩校・遵義堂の門が移築されています。



境内にあるイチョウは高さなんと24m。
樹齢600~650年といわれ、関ヶ原で敗れた石田光成が京へ護送される際
この木に縛られたという伝説が残っています。



丸の内町にある「縁心寺」は、初代城主・戸田一西が慶長7年(1602)に創建したもの。
膳所藩主本多家の菩提寺で、「瓦寺」とも呼ばれてきました。



これは当時、膳所や大津にはめずらしかった瓦葺の寺院だったため。
境内には本多氏代々の墓や戸田一西の墓があります。


中庄1丁目にある「篠津神社」は、膳所藩主本多氏の崇敬を受けた神社。



表門は膳所城の高麗門で重要文化財。
こちらには樹齢400年のケヤキの巨木があります。


天智天皇の行幸にちなんで建立されたという古社「若宮八幡宮」。
旧東海道にあり、膳所藩の庇護を受けてきました。



表門は膳所城の犬走門です。



その名の通り本多家ゆかりの「本多神社」。
こちらは明治に入って、旧膳所藩士など有志によって建立されました。



この地は膳所藩主の別邸として江戸初期に営まれた「瓦ケ浜御殿」の跡地。
そのため、このあたりの地名は御殿ケ浜といいます。

近くには先に紹介した十一烈士をまつる「丹保宮(におのみや)」もあります。



ほかにも、ふと石碑に目をやると、遺構や偉人たちの足跡をたどることができ
土塀や町家などの古い町並みがいまも残っています。







花見の機会に、ぜひ城下町を散策してみてください。

(★)





※情報は2012年3月現在。詳しくは直接お問い合わせください。


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膳所城跡公園
★住所    大津市本丸町7
★電話    びわ湖大津観光協会 077-528-2772
         ※膳所桜まつりについては、090‐2017‐6606(堀池)
★入場    無料
★地図    地図はこちら       


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