NHK大河ドラマの効果もあり、いまブームとなっているのが「戦国」。
「歴女」(歴史や武将好きの女子)なる言葉も登場し、
戦国時代の城や史跡の多い滋賀にもたくさんの戦国ファンが訪れています。
そのなかで今回ご紹介したいのは湖北町にある
「小谷城戦国歴史資料館」。
小谷城といえば、戦国に咲いた悲劇のヒロイン「お市の方」のゆかりの地。
またこの城は戦国時代でも五指に入るといわれた堅固な山城です。
資料館の最寄駅はJR北陸線「河毛」駅。
駅前には小谷城最後の城主・
浅井長政とその妻・お市の方の像が。
ここから湖北町コミュニティバス「こはくちょうバス」で約10分。
駅併設してコミュニティハウスがあり、天気のいい日にはレンタサイクルもおすすめ。
バスは「歴史資料館前」で下車し、ここから徒歩5分。
資料館は小谷山登山道の入り口に隣接しています。
つまり、資料館の背景に見えるのがお城のあった小谷山ということ。
小谷城跡は国の史跡に指定されています。
資料館の周辺一帯は、清水谷武家屋敷群のあった場所。
清水谷から、物見である「出丸」跡裏を経て山頂近くの「番所」跡まで通じる道を
「追手道」と呼びます。
清水谷に復元された「大手門」。
資料館は平成19年にオープンした施設。もとは児童館だった建物ですが
その立地から小谷城の歴史を語る施設へと再活用・リニューアルされたそう。
もちろん、長政&お市カップルの顔だし看板もありました!
館内の常設展では「戦国大名浅井市と小谷城」をテーマに
浅井家の略系図や、長政・お市、長政の父・久政、信長、浅井家の盟友・朝倉義景の
肖像画の複製のほか、城跡からの出土品などが展示されています。
こちらは「小谷城」をテーマにした第二展示室。
小谷城の絵図(見取り図)などが展示され、往時の城のようすを復元した模型もありました。
急峻な山に造営された堅固な山城だったようすがうかがえます。
館内に見られるのぼり旗は「三盛亀甲花菱」。浅井家の家紋です。
城や浅井家に関する資料やグッズも販売されています。
せっかくここまで来たのですから、目の前の
小谷城本丸跡を目指してみましょう。
登山道は資料館のすぐ脇から山へと続いています。山頂までは2.7キロほど。
本格的な山歩きになるので、動きやすい靴と水分などは必須。
できれば熊よけの鈴なんかも用意したいところです。
山にはなんと、カモシカも出るそう。熊と間違えないようご注意!
一息に追手道を登って、休憩を入れたのが
「間柄峠(真柄峠)」。
少し行けば、林道(車道)と合流する地点に
「望笙峠」が開けています。
「笙」とは「竹生」。つまり竹生島が眼下に見えるんです(写真ではよく見えなくて残念)。
再び追手道を行くと、少し高台に登ったところにあるのが
「金吾丸」。
現在は、一般にも上りやすく木々も伐採され、追手道も明るく開けていますが
当時はこの急で足場の悪い道を
重い甲冑姿で行き来したんですよね?
小谷の戦いがまさにゲリラ戦だったことが、身をもってわかった気がします。
自分の足で登ってみてはじめてわかる小谷城の険しさ、そして戦国武士たちのスゴさ!
いよいよここからが本丸へ向かう道。ここまでは車で上がってくることもできます。
「番所跡」を過ぎると、少し開けているのが
「御茶屋跡」。
「馬洗池跡」と「御馬屋跡」。人の手が入った石垣跡が見えます。
そしてこちらが
「首据石」。
罪人の首をここにさらしたそうで、何となく怖くなって早足で通り抜けました・・・。
浅井長政が自刃した赤尾屋敷跡を過ぎると
「桜馬場跡」。
その名の通り、桜が植えられていて、春には花見の人が多く訪れるとか。
浅井家代々の墓がつくられていました。
その先にあるのが別名「千畳敷」とも呼ばれる
「大広間跡」。
大広間の奥が、めざす
「本丸跡」。
まさに、夏草や兵どもが夢の跡。
この先、谷へ下ると武家屋敷跡をめぐるコースになっています。
残念ながら時間がなくなったので、林道を戻ります。
降りたところには休憩所。
地元の保存会の人が品種を復活させた和りんごが実をつけていました。
長政やお市の方も食べた味かも?
小谷山を登るコースはなかなか体力も必要でしたが、
本や資料からだけではわからない当時の足跡をたどることができ
武将たちの息づかいが感じられたようで、改めての戦国の魅力を再発見しました。
※情報は2009年6月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
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小谷城戦国歴史資料館
★住所 東浅井郡湖北町郡上139
★電話 0749-78-2320
★開館 9:30~17:00
★休館 火曜 ※終日の場合は翌日休館
★HP http://www.town.kohoku.shiga.jp/rekisiindex.htm
★地図 地図はこちら