2009年09月10日
国友鉄砲の里資料館
最近、巷では、日本史が大人気ですね。
滋賀県には歴史に縁のある土地が数多く存在し、歴史が好きな方々には、たまらない
ところだと思います。
再来年(2011年)には、NHK大河ドラマで「江 ~姫たちの戦国~」
が取り上げられることも決まり、ますます滋賀県に注目が集まりそうですね。
そこで今回は、歴史ゆかりの土地にある長浜の『国友鉄砲の里資料館』に行ってきました。
国友は、戦国時代から江戸時代の終わりまで、大阪の堺や和歌山の根来と並び
鉄砲の生産地として栄えました。
中でも国友は、信長や秀吉、家康という天下人の手厚い保護を受け、我が国最大の
鉄砲の生産地として知られています。
資料館の門をくぐると庭に見えるのが、司馬遼太郎の『街道をゆく』の一部分が
書かれた石碑があります。そこには、
「国友村に次郎助という鍛冶がいた。年の頃はわからないが、若者のような気がする。
かれは螺子についてさまざまに想像し、試みに刃の欠けた小刀でもって大根をくりぬき、
巻き溝つきのねじ形をとりだし、もう一度大根にねじ入れてみた。
これによって雄ねじと雌ねじの理をさとり、老熟者に説明すると、一同、大いに次郎助をほめた。
その名が、『国友鉄炮記』にとどめられていることからみても、かれの名と功は感嘆されつつ
伝承したものかとおもえる」
司馬遼太郎著『街道をゆく』より
と記されています。
資料館は、1階のスライドのある部屋と隣の「資料展示室」、2階の「展示室」からなります。
まず、最初にスライドで『鉄砲の里・国友』をみました。
こちらは、1時間に1回の上映ですが、希望するとみせていただけるそうです。
ここで国友の歴史をみておくと、展示室を見る前に鉄砲の伝来のことや
国友の鉄砲のあゆみがよくわかりますよ。
上映時間は、約15分ぐらい。わかりやすい内容になっています。
ちなみにこの部屋には、鉄砲の技術から派生した花火や自転車が置いてあります。
江戸時代に入ると、鉄砲の需要がだんだんと少なくなってきたため、
国友では鉄砲の技術を生かして火薬や花火を作ったそうです。
こちらの自転車は、国友鉄砲鍛冶の末裔によって明治24(1891)に製作されていることが、
その車体にきざまれた銘からわかります。
そういえば、同じ鉄砲の町である堺でも自転車が有名ですよね。
次に2階の展示室に行ってみます。
日本に鉄砲が伝来したのは、天文12年(1543年)のこと。
種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人によって
2挺の鉄砲が伝えられました。
国友へ鉄砲が伝えられたのは、その翌年の1544年。
時の将軍、足利義晴の命により、鉄砲の製作がはじまりました。
その後、織田信長により、『姉川の合戦』で鉄砲が使用されます。
さらに天正3年(1575)の『長篠の戦い』では3000挺の鉄砲が使用されて
戦のあり方が大きく変わっていくのですが、そのうち、500挺は国友の鉄砲が
使われたということです。
その後、『関ヶ原の戦い』や『大阪冬の陣』『大阪夏の陣』でも国友の
鉄砲が使われました。
国友はその鉄砲技術のレベルの高さから、重要地として江戸幕府の
「天領」、すなわち幕府の直轄地となっていました。
こちらの展示室では、鉄砲の伝来、鉄砲鍛冶の仕事についてや数々の国友鉄砲の
展示を見ることができます。
火縄銃ができるまでを写真で公開しています。
なんと手前にある火縄銃は、実際に触れてみることができるのです。
火縄銃を手にとってみます。
ずっしりとした重みが伝わってきます。
奥にジオラマがあります。
近寄ってみると自動的に照明が点灯して、ナレーションがはじまります。
鉄砲を作る音が響きます。
鉄砲鍛冶の仕事が紹介されます。
鉄砲は口径によって細筒(小筒)・中筒・大筒・短筒・脇差鉄砲等があります。
こちらは、国友の鉄砲鍛冶が作った大筒です。この他にもさまざまな展示があります。
1階に戻ってきました。スライドの部屋の隣にある資料室をのぞいてみます。
ここでは映像や文字を通して、国友の歴史や縁のある科学者や文化人についても
説明がされています。
科学者の一人としては、『東洋のエジソン』と称された国友一貫斎についての
展示があります。
彼は、自ら作り上げた反射望遠鏡で天体観測を行ったということです。
また文化人では、遠州流の茶人、辻宗範に関する展示がなされています。
ここで『国友鉄砲の里の資料館』への行き方についてを説明します。
最寄り駅は、JR長浜駅。
そこから湖国バス(養護学校行き)に乗って、所要時間は15分程度。
「国友鉄砲の里資料館前」下車です。
バスの本数は少なくて、一日に数本程度です。
(行かれる前にはバスの時刻を必ず確認してください。
湖国バス時刻表は、こちらから↓
http://khobho.jp/mite/ohmibus.htm/
ちなみに私は今回、8時30分のバスで行き、8時45分に資料館に着きました。
資料館は9時開館となっています。
1時間ぐらい見学の後、9時56分のバスで帰りました。
お昼から来られる場合は、長浜駅発14時06分のバスに乗ると
14時21分に到着します。
帰りは、15時21分のバスに乗るとするなら、約1時間ぐらい見学できます。
これらは、2009年9月現在の平日の時刻なので、ご注意ください。
今回は、朝、開館までに少し時間に余裕があったので、資料館のそばを歩いてみました。
国友一貫斎の屋敷もあります。辻宗範の石碑も。
『空を見つめる少年』と『本を読む少女』。
足元を見ると溝蓋にも鉄砲の絵が!
長浜観光の際に、少し足を伸ばして、『国友鉄砲の里資料館』を訪ねてみませんか?
滋賀県には歴史に縁のある土地が数多く存在し、歴史が好きな方々には、たまらない
ところだと思います。
再来年(2011年)には、NHK大河ドラマで「江 ~姫たちの戦国~」
が取り上げられることも決まり、ますます滋賀県に注目が集まりそうですね。
そこで今回は、歴史ゆかりの土地にある長浜の『国友鉄砲の里資料館』に行ってきました。
国友は、戦国時代から江戸時代の終わりまで、大阪の堺や和歌山の根来と並び
鉄砲の生産地として栄えました。
中でも国友は、信長や秀吉、家康という天下人の手厚い保護を受け、我が国最大の
鉄砲の生産地として知られています。
資料館の門をくぐると庭に見えるのが、司馬遼太郎の『街道をゆく』の一部分が
書かれた石碑があります。そこには、
「国友村に次郎助という鍛冶がいた。年の頃はわからないが、若者のような気がする。
かれは螺子についてさまざまに想像し、試みに刃の欠けた小刀でもって大根をくりぬき、
巻き溝つきのねじ形をとりだし、もう一度大根にねじ入れてみた。
これによって雄ねじと雌ねじの理をさとり、老熟者に説明すると、一同、大いに次郎助をほめた。
その名が、『国友鉄炮記』にとどめられていることからみても、かれの名と功は感嘆されつつ
伝承したものかとおもえる」
司馬遼太郎著『街道をゆく』より
と記されています。
資料館は、1階のスライドのある部屋と隣の「資料展示室」、2階の「展示室」からなります。
まず、最初にスライドで『鉄砲の里・国友』をみました。
こちらは、1時間に1回の上映ですが、希望するとみせていただけるそうです。
ここで国友の歴史をみておくと、展示室を見る前に鉄砲の伝来のことや
国友の鉄砲のあゆみがよくわかりますよ。
上映時間は、約15分ぐらい。わかりやすい内容になっています。
ちなみにこの部屋には、鉄砲の技術から派生した花火や自転車が置いてあります。
江戸時代に入ると、鉄砲の需要がだんだんと少なくなってきたため、
国友では鉄砲の技術を生かして火薬や花火を作ったそうです。
こちらの自転車は、国友鉄砲鍛冶の末裔によって明治24(1891)に製作されていることが、
その車体にきざまれた銘からわかります。
そういえば、同じ鉄砲の町である堺でも自転車が有名ですよね。
次に2階の展示室に行ってみます。
日本に鉄砲が伝来したのは、天文12年(1543年)のこと。
種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人によって
2挺の鉄砲が伝えられました。
国友へ鉄砲が伝えられたのは、その翌年の1544年。
時の将軍、足利義晴の命により、鉄砲の製作がはじまりました。
その後、織田信長により、『姉川の合戦』で鉄砲が使用されます。
さらに天正3年(1575)の『長篠の戦い』では3000挺の鉄砲が使用されて
戦のあり方が大きく変わっていくのですが、そのうち、500挺は国友の鉄砲が
使われたということです。
その後、『関ヶ原の戦い』や『大阪冬の陣』『大阪夏の陣』でも国友の
鉄砲が使われました。
国友はその鉄砲技術のレベルの高さから、重要地として江戸幕府の
「天領」、すなわち幕府の直轄地となっていました。
こちらの展示室では、鉄砲の伝来、鉄砲鍛冶の仕事についてや数々の国友鉄砲の
展示を見ることができます。
火縄銃ができるまでを写真で公開しています。
なんと手前にある火縄銃は、実際に触れてみることができるのです。
火縄銃を手にとってみます。
ずっしりとした重みが伝わってきます。
奥にジオラマがあります。
近寄ってみると自動的に照明が点灯して、ナレーションがはじまります。
鉄砲を作る音が響きます。
鉄砲鍛冶の仕事が紹介されます。
鉄砲は口径によって細筒(小筒)・中筒・大筒・短筒・脇差鉄砲等があります。
こちらは、国友の鉄砲鍛冶が作った大筒です。この他にもさまざまな展示があります。
1階に戻ってきました。スライドの部屋の隣にある資料室をのぞいてみます。
ここでは映像や文字を通して、国友の歴史や縁のある科学者や文化人についても
説明がされています。
科学者の一人としては、『東洋のエジソン』と称された国友一貫斎についての
展示があります。
彼は、自ら作り上げた反射望遠鏡で天体観測を行ったということです。
また文化人では、遠州流の茶人、辻宗範に関する展示がなされています。
ここで『国友鉄砲の里の資料館』への行き方についてを説明します。
最寄り駅は、JR長浜駅。
そこから湖国バス(養護学校行き)に乗って、所要時間は15分程度。
「国友鉄砲の里資料館前」下車です。
バスの本数は少なくて、一日に数本程度です。
(行かれる前にはバスの時刻を必ず確認してください。
湖国バス時刻表は、こちらから↓
http://khobho.jp/mite/ohmibus.htm/
ちなみに私は今回、8時30分のバスで行き、8時45分に資料館に着きました。
資料館は9時開館となっています。
1時間ぐらい見学の後、9時56分のバスで帰りました。
お昼から来られる場合は、長浜駅発14時06分のバスに乗ると
14時21分に到着します。
帰りは、15時21分のバスに乗るとするなら、約1時間ぐらい見学できます。
これらは、2009年9月現在の平日の時刻なので、ご注意ください。
今回は、朝、開館までに少し時間に余裕があったので、資料館のそばを歩いてみました。
国友一貫斎の屋敷もあります。辻宗範の石碑も。
『空を見つめる少年』と『本を読む少女』。
足元を見ると溝蓋にも鉄砲の絵が!
長浜観光の際に、少し足を伸ばして、『国友鉄砲の里資料館』を訪ねてみませんか?
※情報は2009年9月現在。詳しくは直接お問い合わせください。
*************************************
「国友鉄砲の里資料館」
★住所 長浜市国友町 534番地
★電話 0749-62-1250
★開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
★休館日 年中無休
★入館料 無料(12月28日~1月3日のみ休館)
★HP http://www.kunitomo-teppo.jp/
★地図 地図はこちら
Posted by しがまにあスタッフ at 20:00
│長浜
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この前の週末、
誰かさんのリク(笑)でのふらり探訪☆地元ミュージアム♪(^_^)v
館内撮影禁止の表示がありましたので、
残念ながら写真画像は外観のみです。
2階展示室の
壁いっぱ...
誰かさんのリク(笑)でのふらり探訪☆地元ミュージアム♪(^_^)v
館内撮影禁止の表示がありましたので、
残念ながら写真画像は外観のみです。
2階展示室の
壁いっぱ...
国友鉄砲の里資料館(滋賀県長浜市)【□■ 極私的湖北通信Ⅱ ■□】at 2010年07月12日 08:13
この前の週末の
ふらり探訪☆地元ミュージアム界隈、ちょとイロイロ♪(^_^)v
鉄砲の里資料館とは別に、
鉄砲鍛冶資料館なるものもあるそうですよ。
面白そう~~……♪(>ω<)v
...
ふらり探訪☆地元ミュージアム界隈、ちょとイロイロ♪(^_^)v
鉄砲の里資料館とは別に、
鉄砲鍛冶資料館なるものもあるそうですよ。
面白そう~~……♪(>ω<)v
...
国友鉄砲の里資料館、界隈。-3(滋賀県長浜市)【□■ 極私的湖北通信Ⅱ ■□】at 2010年07月12日 08:15
この前の週末のふらり探訪☆地元ミュージアム・おまけ編♪(^_^)v
……
なんか、
入館と同時にこんなんもらいましたが……(笑)
…
いわゆるカードダスってヤツデスカ?(笑)
( ̄...
……
なんか、
入館と同時にこんなんもらいましたが……(笑)
…
いわゆるカードダスってヤツデスカ?(笑)
( ̄...
国友鉄砲の里資料館:番外(滋賀県長浜市)【□■ 極私的湖北通信Ⅱ ■□】at 2010年07月12日 08:16