伝え、守られてきた湖国の巨木・名木をめぐる―大津編

しがまにあスタッフ

2013年09月26日 20:00

寺社仏閣が多い滋賀では、その鎮守の森として
巨木・名木が守り伝えられています。



社寺で、まちで、里山で、人々に愛され
ときに信仰を集めてきた樹木は、まさに歴史の生き証人。

今回は、そのなかでも大津の名木をめぐってみたいと思います。



まずは、山王信仰の総本宮である坂本の「日吉大社」へ。



ここでよく知られるのが樹齢300年といわれる「走井杉」。



まるでゾウが鼻をのばすかのように
大きな枝が橋の上に横たわっています。



この橋は豊臣秀吉が寄進したとされる石の反り橋で
同じく清めの井戸「走井」がそばにあることで
橋を走井橋、杉を走井杉と呼ぶようになったそうです。



西本宮に向かう参道には藤の古木があります。



大正期に書かれた『近江名木史』には春日岡之藤と記されていて樹齢は不詳。
いまは樹勢が衰えつつありますが、参道をトンネルのように覆い
春には美しい花を咲かせます。



一説によると、この藤には秀吉にまつわる伝承も伝えられていたとか。

戦国時代、日吉大社の霊水で傷をいやそうと
尾張から一人の若い武士がやってきます。
その武士が神官の娘と恋をし、生まれた男の子が
木下藤吉郎こと秀吉というのです。
藤吉郎という名も「この木のようにどこまでも伸びよ」と
聞かされていたことにちなむとか。
日吉大社と秀吉の深い結びつきから生まれたお話かもしれませんね。



この藤の木のすぐそばにあり、弓なりに曲線を描く樹齢500年の柿の木。



日吉大社といえば神の使いは「真猿(まさる)」。
その猿たちが好んで食べた渋柿なので「猿柿」と呼ばれているそう。





左は西本宮の「桂」。湖国三大祭の一つ「山王祭」では
参列者が冠や衣服に桂の枝を飾ります。

左は東本宮の「多羅葉(タラヨウ)」。
肉厚の葉の裏に文字を刻むと黒く浮かびあがってきます。

[日吉大社]




日吉大社を出て、参道を琵琶湖へ向かって下ると
右手に最澄の出生血である生源寺があり、それに隣接して
「大将軍神社」があります。ここは最澄を祀る産土神の神社。



ここで穴太積の石垣からうねうねとした幹をのばすのが「スダシイ」。



樹齢は300年以上で、幹周りは5m、高さ14m。
滋賀県の指定自然記念物で、スダシイとしては県内有数の巨木です。

[大将軍神社]




また大将軍神社から少し坂を下ったところにある「日吉御田神社」には
樹齢200~300年といわれるクスノキが2本あります。





幹周り5m以上と大きく、以前は高さ20mを超えていたのだそうです。

[日吉御田神社]




今度は、坂本から琵琶湖へ向かい、湖岸の161号線を南へ。


大津の名木といえば、やはり「唐崎の松」。
近江八景の一つ、「唐崎の夜雨」の風景として有名ですよね。



唐崎神社の境内にあり
琵琶湖を見渡す岬に大きく四方へと枝を伸ばす松は、現在で三代目。
この霊松の起源は7世紀ごろとか。

「辛崎の松は花より朧にて」

と松尾芭蕉が詠んだのは、二代目の松を見てのことだったそうです。



枝の向こうには、湖面と近江富士が。

[唐崎神社]





桜や紅葉の名所として知られる三井寺(園城寺)
山裾にいくつもの堂宇が立ちならび、多くの巨木が残ります。


右は「三井の晩鐘」で知られる鐘楼。



ここでとくに有名なのが国宝の金堂そばにどっしりと根を張った「天狗杉」です。



寺伝によると樹齢は1000年を超えるとも言われ、高さ20m。



昔、相模坊という僧侶が三井寺で密教の修行をしていたとき、
小田原に最乗寺が創建されることを知り、一夜のうちに天狗となって
書院の窓からこの杉の樹の上へ飛び、方向を定めて当方へ飛び去りました。
その降りたところがいま最乗寺のある山中で、建造を助けたといわれています。

[三井寺(園城寺)]




一方、悲話が伝えられているのが、
三井寺にほど近い大津赤十字病院そばにある「犬塚」のケヤキ。



悠然とそびえる老大樹には、隆々とした瘤とたくさんの大枝が伸び
ひときわ目を引きます。幹の周囲はおよそ8m、.樹齢500年以上。



蓮如上人が難を逃れて近江の地を訪れたときのこと。
とある宴の席で、真宗の隆盛を妬む者が毒を盛り、上人殺害を企てました。
そのとき、上人のお供の飼い犬が突然料理を蹴散らし、
それを食べて血を吐いて死んでしまったのです。
危うく一命をとりとめた上人は、この犬を憐れみ、塚を立ててケヤキを植えたのだとか。

戦後には荒廃していましたが、地域の人々によって整備されたのだそうです。

[犬塚]




また市街地にも往時の姿を伝える巨木がいくつもあります。

JR大津駅から琵琶湖へとまっすぐ伸びる中央大通り。
まもなくイチョウ並木が鮮やかに色づく季節ですが
県庁前から続く通りとの交差点にあるのが「華階寺のイチョウ」。



もとは寺の境内にあり、湖岸が山手に入りくんでいたころは
このイチョウは行き交う船のよい目印だったんだとか。

道路整備の際に切り除く計画もあったそうですが
樹霊に障りがあるともいわれ、残されました。

道路の中央分離帯にこれほどの巨木が残されているのは珍しく
いまもたくさんの人が、2本の夫婦木の間を横断歩道に沿って通り抜けています。

[華階寺のイチョウ]




道路の中央に保存された巨木といえば
大津プリンスホテルから161を山側に入った昭和町にある
「山城屋のイチョウ」も、ちょっと一風変わった風景。



室町時代、ある禅僧がこの地を霊地として感じ、草庵を構えて
イチョウを植えたことはじまるとか。
のちにこの地に役人頭として移り住んだ山城屋大吉の邸の一角に位置することになり
護り木になったといわれています。
華階寺のイチョウと同じく、湖上交通の目印として役目を果たしていたそうです。

[山城屋のイチョウ]





このイチョウのほど近く、膳所の城下町だった西の庄にあるのが
「石坐神社」のエノキ。



樹齢200年ともいわれ、いまは住宅や高いマンションに囲まれていますが
この木も昔は船の目印になっていたといわれています。

[石坐神社]




また膳所高校のそばにある和田神社には
樹齢600年以上とわれる大津市天然記念物の大イチョウがあります。




関ヶ原の合戦で敗れた石田光成が、伊吹山で捉えられ
京都へ護送される際、このイチョウにつながれたと伝わっているとか。

[和田神社]




琵琶湖をぐっと南下して、瀬田の唐橋を渡ったところ。
近江一の宮「建部大社」でご神木として大切に護られているのが三本杉。



神門をくぐると目の前にあります。



建部大社が現在の地に遷されたとき
一夜にして社頭に三本の杉が生じ成長したと伝えられ
これが建部大社の神紋にもなっています。

[建部大社]



社寺やまちなかで、目をひく巨木・老木には
やはりさまざまな伝承も残されているもの。
それを知ると、まちのなりたちや歴史も知ることができるんですね。

大津だけでなく、みなさんのまちでも名木をさがし
もの言わぬ語り部たちの声に耳をかたむけてみませんか。



※情報は2013年9月現在。詳しくは直接各所へお問い合わせください。


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